となりにアロマ

嗅覚を刺激する隠れ家サロンミスコのブログ

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  • 平和への祈り~水鏡が結ぶホピとのつながり~

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沖縄の西に「水鏡」のスピリットが宿る、地元の人に親しまれた聖なる拝所があるという。その水鏡は、地下で海と繋がっているといわれており、どんな嵐や台風の時にも、静かな水面を保つというものだという。

私達夫婦は、昨年、数々の不思議な縁に導かれ、その水鏡のスピリットのもとを訪れることになり、大切な経験を与えられることとなった。


■独立に至る転機を引き寄せた不思議な出会い
2009年7月29日、神奈川県逗子市のとある家に私の大事な友達が住んでおり、私は彼女のもとを訪れていた。

その友達が借りていた部屋の家主が、直前に引っ越しを控えていた友人夫婦のあとに、次に住む人を探していたので、私たちにどうかと勧めてくれた。以前彼女には「東京での暮らしをやめて、もっと自然のある場所に移住したい」という私たちの願いと「そのためにお金を貯めるべく、今よりも安くて広い空き家を知らないか?」という話を、1年位前にした事を、ずっと覚えていてくれたのだった。

その家主というのは、アウェイク・ネイチャーという団体を設立し活動している、ソマティック心理学者のジェームズ・ハートランドと翻訳家の菅野禮子さんご夫婦であった。

不思議な事に、友人の彼女と全く関係のない、いつも精油でお世話になっているフィトアロマ研究所の小島秀元さんからも、その年の春から、既に「アウェイク・ネイチャーのお二人と会ったらどうか」というお話しを夫に伝えられていたのだ。

あまりにも偶然な引き合わせに、夫貴司とは、アウェイク・ネイチャーのお二人と縁を感じつつも、その時期は、トレーナーとしてコーチングスタッフに携わっていた母校のバスケットボールチームの新潟合宿の準備の事で頭が一杯になっており、話の進展を図れずにいた。

それから数週間後、ようやく合宿が終わり東京に帰ろうとしていた車の中で突然携帯電話が鳴った。それは、小島秀元さんからの電話だった。合宿に行く前に、小島秀元さんとは、7月29日に、奇遇にも友人からアウェイク・ネイチャーのお二人を紹介されたことを報告してあって、それなら近いうちに皆で会いましょうというお話しをして頂いていた。その経緯で、小島秀元さんが「今度彼らに会う機会があるから、来てください」と電話をくださったのであった。

そして私たちはついに、8月の終わりに、アウェイク・ネイチャーの、ジェームズ・ハートランドさんと菅野禮子さんご夫妻と初めてお会いすることができた。

会話が英語だったので、私は正直ドキドキしたけれど、夫貴司がバスケットボールの話を通じて、ネイティブ・アメリカンの思想に興味があることを話した。その時に、ジェームズから「ホピ」というアメリカ先住民族のことを教えていただき、それが私達にとって初めて聞く「ホピ」の話だった。


■わたし達の人生観を変えた旅
その後、9月23日の秋分の日に、アウェイク・ネイチャーは忍野八海にてホピの水一族、ルーベン・サウフキィを招いてリトリートを主催することになっていた。

そのリトリートの前に、部屋を貸していただく件で、再びジェームズと禮子さんご夫妻とお会いすることになったのだが、ふとした会話の流れから、佐々家の先祖供養のために、立山周辺にいくべき所があると、スピリチャルカウンセラーでもあった、ジェームズから夫貴司へアドバイスをいただいた。

ちょうどその時、リトリートの後に「ルーベンと出会い、飛騨金山にある太陽遺跡の巨石群にガイドしたい」と、沖縄のシャーマンであり神人でもある、比嘉良丸・りかさんご夫妻が願っているとのお話しがあり「それならば、リトリート⇒金山遺跡⇒立山と、皆で行きましょう」という流れになっていった。

比嘉ご夫妻は、大国ミロク大社として、世界平和を実現するために世界各国を旅し、各地で祈りの和を広げるためにご神事をされている。実績として、皇室のご神事や「The Return of The Ancestors(先祖たちの里帰り)」の日本代表としても認められ、さらにマヤの長老のトップからは、彼らが最も聖なる神と崇めているククルカン(海蛇)の紋章を授かっている、すごい方達なのだが、旅にご一緒いただけるだけでなく、車など、私達の足までご協力頂ける事となった。

極めて個人的な佐々家の先祖供養に関して、世界平和を求める世界の長老達との集いに認められた有識者達に、お金が一切流れていない中、なぜ協力をしていただけるのか不思議ではあったが、私たちはその流れに身を任せてみようと決断した。

忍野八海で行われたリトリートで、ルーベンは、比嘉ご夫婦も参加した「The Return of The Ancestors(先祖たちの里帰り)」と呼ばれるギャザリング(集い)について話してくれた。このギャザリングは、ホピやマヤの予言の中で予告された集いであり、世界平和のため、世界の長老たちが集まり、先祖たちの叡智が分かち合われたのである。

だが、この集まりの開催にあたっては、様々な衝突、障害、批判、そして集まった長老同士にも葛藤があったということなのだ。自然と共に生き、平和の民と呼ばれる人たちの間にさえ、そうした葛藤や対立、攻撃があるのだということが、私にとって驚きだった。

けれどもルーベンは「例えそうした批判や衝突があっても、私たちはひとつになれると信じ、そのためにワークアウトすることは間違いのないことで、反対や攻撃があっても、逆に自分はそれを力にして、正しいことをするのだ」という。

異なる視点があっても、そのどれが正しいのかと戦い争うのではなく、バランスをとり、ひとつになることがとても強いのであると。だから、「I」ではなく「WE」で考えようと、私たちに伝えた。

私はとても驚き、そして勇気付けられた。その時ちょうど私達夫婦は、今の時代に生きていくためには、モノやカネに支配される流れに沿った生き方をしなくてはいけないのかと、挫けそうになっていたところだったのに、彼は、私達に希望を与えるメッセージを、ホピの人達からの反対を乗り越えてまで、わざわざ日本に来て届けてくれたのだ。

「私は、希望のメッセージを、自分のできるベストを尽くして、広げていきたいと思っています」

ルーベンとの出会いと、彼のメッセージは、私達夫婦に大きな勇気を与えてくれた。

どんなに弱い立場に居て、周りの批判にさらされても、正しいことを正しいと信じて進むことを、それでいいと、彼の生き方と言葉をもって示してくれた。

異なった視点を持つ人々が、その違いの正否を争うのではなく尊重し、バランスをとりながらひとつにすることで、より物事は強くなると教えてくれた。

それから、飛騨金山で太陽遺跡を見学した夜に、比嘉良丸さんとルーベンが、夫貴司の通訳を介して、1対1で対談する貴重なシーンにも、遭遇することができた。ルーベンは、ギャザリングの時に、自分の仲間であるホピの一部の部族や長老達が排他的だったことに対し、感情を抑えられずにいたことに対して、比嘉良丸さんは、ギャザリングで長老達の間に葛藤が起こったことについて「それはむしろ良かったことで、皆が認識できたことに意味がある」と仰っていた。そこから相互理解への道筋が始まるのだと。

「恐れて、隠していては、きっと何も希望にならない」

その後立山周辺では、私達佐々の先祖供養のために、ジェームズや禮子さんの導きに基づき、比嘉良丸・りかさんには、先祖との対話を実現するために声を出して頂き、ルーベンは、先祖から続けて解決できなかった感情を解き放つための、水の儀式をしてくれた。

比嘉ご夫妻からは、私が夢として追っている、日本発のアロマセラピストとしての道を極めるよう背中を押され、夫貴司には、それをサポートするよう応援のお言葉をいただいた。最後の夜に、旅の一連の流れを冷静に見守っていた、菅野禮子さんから、夫婦で独立することを薦められたのである。


■沖縄で授かった天からの滴
旅から帰ってきた私達は、先祖供養のご協力頂いたミロク大社の比嘉良丸さんやりかさんに対して、何か恩返しできないかと考えていた所、10月末に、本拠地の沖縄で巡礼のワークショップを開催するという情報を見つけ、それに参加することで、感謝の気持ちを伝えることにした。

ワークショップの目的は、内面を見つめ自分自身に常に問いかけ、自分で歩み進もうとする者へ、出会い、気付き、導き、教えをもって善い方向へ行くよう助けるために、御嶽と呼ばれている、沖縄の聖地で神の働きを受けられるよう、お祈りしながら回るというものであった。

比嘉ご夫妻には、数多くある聖地の中で、いくつか私達とコネクションのある場所を紹介頂いた。中でも、とても印象的だったのが、有名なホテルの敷地の傍らにあった、水鏡のスピリットの拝所であり、実は5年前に兄の結婚式で、既に訪れたことがあった場所だった。

私は5年前のその時、人生のつらい時期を過ごしていた。パニック障害を患い、とても疲れていて、消えそうなロウソクの火を、なんとか家族や友人に守られながら生きていた。結婚してまもなくの私達夫婦に訪れた、とてもつらい時期だった。

そんな時に、兄の結婚式という祝福に導かれるように、私は知らずにその土地を訪れていたのだ。

私をいつもそばで見守ってくれていた夫貴司は、その時から、私の人生は変わり、少しずつ前向きになっていったという。実際、その数ヵ月後に、師である渡辺育子先生主宰のアロマセラピー教育研究所で勉強を始め、この道に進む、はじめの一歩を踏み出していた。

その水鏡のもとへと再び、比嘉ご夫妻により導かれたのであった。

その水鏡へ祈りを捧げた時、比嘉りかさんを通じて、ここの水鏡のスピリットが、5年前に私の命を救い、5年経った今も「手を当てることで人を救いたい」という私の夢を実現するために応援し、力になってくれていることを、伝えられ、そして気づかされた。その時にはじめて、私をセラピストとして成長させてくれた、通常では考えられない、恵まれた人との出会いや縁をもたらした理由を少しずつ理解し、受け入れ始めた。

そして、さらに、この3日後、沖縄の久高島という場所で特別な体験をする事になった。

もともとこの旅では、久高島へは行く予定はなかったのだが、出先に、先述したフィトアロマ研究所小島秀元さんから連絡があり、どうせ沖縄へ行くのであれば、小島秀元さんを精油の輸入販売の道へ導いた、久高のシャーマン、サワさんにお会いしたらどうかという事で、サワさんが営む民宿を紹介頂いたことにより、島を訪れることになった。

サワさんとお会いできたのは、久高島に一泊して、ちょうど島から出ようとしていた時で、そこからは、あっという間の出来事だった。お話しをさせて頂いている最中に、涙が理由もなく止まらなくなり、通常では、認識やアクセスする事が難しい、島の中でも、とてもとても聖なる場所まで自然と足が向かっていた。

たどり着いた場所には聖なる洞窟があり、私はそこで、おいおい泣いた。しばらくすると、美しい蝶々達が飛んできて、降っていた雨が急に止み、木々の隙間から光が差し込み、風が私達を囲むように頭の上で渦を巻いていた。やがて涙が止まり、私は、島の人々にとってこの洞窟はどういう意味があるのかを聞いた。すると、サワさんは、「天からの滴」と答え、どうしたいか、と問われた。私はとっさに、葉を取り、その葉についていた滴を、蝶が水を吸うように、なめた。

「今後、平和を祈るときがあれば、その儀式を自分の中でしなさい」

と言い残し、サワさんは、一枚のハーブを渡してくれた。


■水鏡のスピリット、ホピと私
この出来事からの数ヶ月間、私はさまざまな体験をし、沢山の学びと気づきが与えられた。

「どうせ」という、世界と自分に対する疑いの心を持っていたことを気づかされた。

周囲から完璧を求められるという幻想と、それに応えなければいけないという幻想を持っていたことに気づかされた。

人間もまた等しく「自然」であり、神聖な自然のスピリットと同じく、ひとりひとりが神聖な存在だということを思い出させてくれた。

私達が自然の中で、神々しい場所に行き、手を合わせるように、神々しいものとして、人が、自分を含め人間を、お互いに、手を合わせるように、畏れ敬うことを思い出させてくれた。

与えられた恵みと弱さを素直に受け入れ、ただ感謝し、その力を平和に役立てるために、進む勇気を思い出させてくれた。

そして、争いの気持ちが生まれ、諦めそうになったときには、平和の民であるルーベンの言葉を思い出す。

すると、再び心に勇気の火が灯るのだ。

比嘉さんご夫婦は、昨年ホピの村に訪れた際に、あの沖縄の水鏡のスピリットについての祈り歌を歌った。それを聴いたルーベンは、インスピレーションを得て、愛する末娘に、「水鏡」にちなんだ名前をつけたという。

稀有な銀細工職人でもあるルーベンに、オーダーメイドでもジュエリーを作っていただけるというので、リトリートの合間、少し肉体的に疲れていた彼にトリートメントをさせてもらい、そこで得たインスピレーションからジュエリーを作っていただけないかと恐縮ながらお願いしたところ、快諾していただいた。

それから、私たちが沖縄の水鏡を訪れたことや、授けられた天からの滴について、ルーベンに話をしたところ、ターコイズを入れてくれることになった。

きっと、この水は、私の大切な宝物になる。平和への祈りを込め、自分の存在を証しするために。

  • 冬至の太陽のセレモニー

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今年の冬至は、大洗神磯神社の鳥居に昇る日の出を見に行きました。

神磯神社は856年、海岸の岩礁に神が降り立ったといわれる地で、この日も写真を撮りに来ていた方が多くいました。

冬至は、エネルギーが生まれ変わるので、
このご来光を新年と考える思想もあるようです。

唐の時代では、冬至が新年の始まりでありました。

中国の世界遺産では、天壇といって、明の皇帝が冬至に、天を祭るための儀式を執り行う場所があります。

旧暦では、冬至が暦を計算する上での起点です。

その日は冬晴れで、空気はキンキンに冷えていて
太陽が昇ると、海から湯気が立ち上っていき。

こんな景色は生まれて初めて見た私は、
思わず手を合わせていました。

  • 小笠原への旅

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GWを利用して、小笠原に行ってきました。

私達夫婦にとって、旅は少し特別なもの。
同じ体験をすること。初めてのことを共有すること。
それは家族にとって大切なことだと思うから
時々、思い切って旅に出ることがあります。

今回も諸事情で諦めようかと思ったけど、
行ってよかった。
行くしかなかった。
そんな旅になりました。

さて、なぜ小笠原かというと、始めはイルカと泳いでみたくて、御蔵島に行こうかと考えていたのですが、せっかくなら「東洋のガラパゴス」とも称される自然がある、小笠原に行こう、ということになったのです。

ただ、小笠原に行くには船で25時間もかけて行かなくてはならない・・・
船に弱い私達夫婦には大きなチャレンジでしたが、それでも行くことにしました。

小笠原諸島の主な島には、父島と母島という二つの島がありますが、我々は母島と父島、両方行きました。

母島は、心からのんびりできる島。そして、どこまでも透明で、サンゴもお魚も沢山生きていて、素晴らしい海がありました。
(沖縄も屋久島も綺麗だったけど、ここが一番綺麗だと思うなぁ。)

父島では、イルカに会うことができました。
イルカとの出会いを含めて、父島での体験はもう、ただただ不思議なものでした。

旅の体験の中身は、また詳しく書いてみたいと思います。


もともと、中学生くらいの時にジャック・マイヨールさんの映画「グラン・ブルー」が気になっていた私。
大人になって、そんなことはすっかり忘れていましたが、ここ最近通うようになった歯医者さんに置いてあったジャック・マイヨールさんの本を見つけて、読んだことがきっかけで、いつかイルカに会って一緒に泳いでみたいと思うようになりました。
私は生来山育ちで海には疎いので、この歯医者さんに出会わなかったら、イルカなんて水族館にいるもの、という位にしか興味がなかったと思います。


旅を終えた今でも、たくさんの経験がありすぎて、
頭が整理されてきません。

大きな転機のまっただ中にいるような
そんな不思議な日々が続く、今日この頃です。

  • 太陽の神社、と神楽

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てなわけでちょっと1月2月を振り返ろうかと思います。

初詣は早朝から御岳山の御嶽神社にいきました。
人気の初日の出スポットということですが、行ってみて納得。

ここはとにかく太陽のパワーがすごい!
写真は奇跡のショットです(おっと作)
陽の光がお宮のエンブレム?に当たって、なんとも神秘的な一枚になりました。

御岳山の初詣は、冬の朝の空気がすがすがしく、
暖かくてエネルギーが満たされる感じでした。
ことし1年分のエネルギーを充填しました(^^)v


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ちなみに御嶽神社には、神楽があるそうです。いってみたいなぁ。

私の故郷では「備中神楽」というものがあり、神社だけでなく普通のイベントとかでもやったりします。
その神楽では大国主命やヤマタノオロチ退治など日本神話のエピソードが色々でてきまして、客席に紅白の餅をまいたりすることも!子ども心に楽しかったなぁ。あれは立派なエンターテイメント、かつ視聴覚教材でした。

・・・うーむ、私の日本神話好きも実はこんなところから刷り込まれていそう。。

  • 昔の夢

中学生のころ、写真家ロバート・キャパの1枚の写真と出会った。

それは戦場でひとり、死んでいく若い兵士を記した写真。

もしこの写真家がその場に居てシャッターを押さなければ、この若い兵士は誰にも知られずに死んでいったかもしれない。

けれど、月日も空間も越えて、今私の目の前に、確かに彼がそこに生きて、人生を終えたことの証明があった。

その時、これはなんて素晴らしい仕事だろうと思い、私もそんな事がしたいと夢見た。
なぜそんなふうに思ったのかは、わからない。


香りは記憶と強く結びつき、私たちの幸せな思い出をいつも呼びさましてくれる。

香りをあつかうセラピストとして、
もし人の人生の最期にできる事があるとしたらそれは何だろう。

そんなことを考えていて、昔の夢をふと思い出した。

  • あけましておめでとうございます

皆様、あけましておめでとうございます。


楽しいお正月をお過ごしですか?
私は夫と二人で御岳山に初日の出を見に行きました。


2008年は、地味に内面が変化した年でした。
それも、自らアクションを起した結果というより、周囲の流れに成長させてもらった、機会を与えてもらった、という感じです。


ちなみに2008年のお正月に決めた今年のテーマは「学ぶ年」でした。
2009年は、アスリートのように、自分をプッシュする年にしたい、と思っています。


4年半前に体調を崩してから、仲間や師、家族、そしてお客様、応援して下さる皆様に支えられて、ようやくここまで来ることができました。長かった充電?は完了して、来年から走る!今、そんな気分です。
実際にランニングも始めようかな、なんて思ったりしてます。


2009年が皆様にとって良い年でありますように。
皆様の健康を心からお祈りしております。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

  • 屋久島で感じたこと

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少し前のことになりますが、屋久島に行きました。


屋久島といえば森ですが、私たちはヤクスギランドから太忠岳を登山しました。


ヤクスギランドは、着生、倒木、更新、合体などの森の自然の循環のメカニズムを、体験できる美しい森です。


ここは江戸時代にヤクスギが伐採された森でもあり、ところどころに見られる切り株の後から、その自然の循環のメカニズムの中で人間が共存していた姿がしのばれます。

そんな深い森の中を歩き、やがて森とひとつになっていくうちに、不思議な感覚におそわれました。


たとえ人の手で木が伐採されても、その上から2代目、3代目の木が育っていく。
台風で土地が崩れても、やがて最適な植物が生えてきて、その植物が生い茂る頃にはまた森の姿も変わっていく。


自然にあるべき姿へと戻っていく。

自然ってすごい。

人間が何かすることなんて、なんて小さいだろう。
私が何か変えられるなんて、なんておこがましいだろう。


そう実感し、自然の流れに逆らうということが、なんともあほらしい事か、となんだか素直に思えてきたのです。
そう思うと、変な気負いというか、力がすうっと抜けていく気がしました。


自然の流れに逆らわないこと。
これが一番の生き方なんだと、屋久島の森に教えてもらったようです。


倒れた木はやがて養分となり、その上から新しい木が育っていきます。
私もこの倒木のように、倒れてなお次の世代へ命を育む
そんなふうに人生を全うしたいなぁ
という想いが、山を下りながら、ふと心に浮かびました。

  • 私の故郷

私は岡山県の新見市というところの出身です。


この地域は「阿哲地域」とよばれ
植物学上では特異な場所として知られています。


この地域でしか見られない固有の植物や
珍しい植物、蝶などの昆虫が多く見られる土地です。


・・・ということを最近知りました。


子どものころから、自然って美しいなぁと思っていたのですが
その時みていたものはどこにでもある景色ではなく、
そこでしか見られない景色だったのです。


旅行で日本のあちこちを回っていると、
その土地、土地で山の表情が変わってくるのですが、
その中でもやっぱり、新見の緑は美しい。
ということに、各地の自然に触れるうちに気付きました。


私が、生きていくうえで、自然が必要と強く感じる理由も、
この土地の持つ魅力のせいなのかな、
なんて思います。

  • パチュリ

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パチュリの香りは、私にとってすごく懐かしい香り。


雨上がりの地面から立ち上る匂い。
日陰の山の斜面から香る匂い。
お祖父ちゃん家の仏間の匂い。
川沿いの濡れた石の匂い。


私の生まれ育ったところの匂いを感じる。


夢でも、時々、故郷の自然の中に帰っていくことがある。

  • ある種のマニア

私は肉体美に目がなくて、
ダンスとか格闘技とか、バスケットボール以外でもスポーツ観戦が好きです。


とくに、試合という舞台で渾然と進むドラマの中で
躍動する体の動きに見とれています。


五輪が始まったら、毎日うっとりして大変なことになりそうです。


旦那さんにはパーツマニアと言われました。
確かにそうかもしれません。w


だって、いや、ほんっと人間て美しい・・


そして人間だけでなく、生命あるものって
たとえ其々がどんな姿形をしてようと、
人智を超えた何かがあって
とてもとても神秘で美しいと、常々思うのです。


なので、自然と人間の生命とにふれるこの仕事、
一生やみつきになる事は間違いなしだろーなーと思っています。

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